ハン・ガンへのファンレター 2024年のこと
2024年は本当にハン・ガンに心から感謝申し上げたい。
2024年1月、子供だった自分を救いに行ってやるからな!という気合のもと自費診療カウンセリングに行くも話している間PTSDで喋れなくなり初回で挫折して本当己無価値!というスタートダッシュ。
2.3月、仕事で昇格したりして1月の人生無理モードを忘れるように仕事に明け暮れ呼ばれたらどこでも行きます。モードになり4.5月も繁忙期〜合間にベッキョンのソロコンでフォロワーとミート・アンド・グリートをしてそういえば私にはこの"世界"があったとなった。
6月、絵本の読書会に行き始めたのと4年ぶりに尾道に行ったことで過去の好きだった活動や場所などから過去を振り返ることを自分に許したことで #これは始まりにすぎない モードが始まったと今振り返ると理解ります。
7月も友達のイベントに行ったりすごく楽しくてしかしここから体調不良も始まり、名の知らぬ他人のいる場所で食事をすると吐きそうになる現象が起き始め8月はその現象がピークに達し泣いていた。しかし私がその現象を寿司屋で起こしてしまった時に会っていた友人が私の1月のカウンセリングについて「(カウンセリングを)やってみてできないとわかった、ということがあなたにとってとても大きなことだったのではないのか」ということを言ってきて違国日記の中にいるのか?という幸福な錯覚を起こした。
9月〜〜〜ほんmoney、麻月 #legend ミライ先生にホロスコープを見てもらってスベテの歯車が噛み合った。塩屋の風情に酔いしれ、FPの資格もとれて、しかし体調がまだ良くなかった。10月になって体調は回復傾向を見せ始め、東京にいる友達とも会えて嬉しかったのだが仕事も忙しくなり始めて低空飛行感があった中で
2024年11月を忘れることはないのだろうと思う。
ハン・ガンの『別れを告げない』という本を読んだ。その本は私の見えている世界を一変するような体験をもたらしてくれたが、もたらしてしまった、といった方が適切なような気がする。この本を読む前の世界を想像できなくなった。人間が人間に対する信頼を根源から失うことと、人間が人間に対して持ち得る徹底的な尊厳が同時に存在するということを済州4.3事件をめぐる女性たちの物語から受け取った。パレスチナで100年以上繰り返されるジェノサイド、沖縄の辺野古の海が軍用基地移設によって埋め立てられ始めたことー自分の生活する領域を文字通り侵略される暴力、饑餓、性暴力、殺人あらゆる手段によって身体の安全が奪われる、それに伴って奪われる尊厳。
あらゆる手段によって与えられる暴力を目撃し、心を痛ませることに慣れていく自分への信頼というのも失っていく最中で『別れを告げない』は私のあらゆる風向きを変えさせる、風の音が強すぎてそれ以外の音が何も聞こえなくなった後に初めて聞いた音のような本だった。
ハン・ガンがノーベル文学賞を受賞した時のスピーチの中で記憶に刻まれた言葉がある。(以下引用)
"(『少年が来る』(光州事件をテーマにしたハン・ガンの著作)にとりかかる中で)
そうやって資料に取り組んでいた時期に私が思い浮かべていた二つの問いがある。二十代半ばのころに、日記帳を新しくするたびに最初のページに書きつけていた文章だ。
現在が過去を助けることはできるか?
生者が死者を救うことはできるのか?
(현재가 과거를 도울 수 있는가?
산 자가 죽은 자를 구할 수 있는가?)
資料を読めば読むほど、それが不可能であることが判明するかに思えた。人間性の最も暗い部分に触れつづけるうちに、ずっと以前にひびが入ったと思われる人間性への信頼がすっかり割れて砕ける経験をしたからだ。この小説の執筆はもう続けられないとほぼあきらめたとき、一人の若い夜学教師の日記を読んだ。1980年5月の光州で軍人たちがしばらく退却した後、10日にわたって実現した市民自治の絶対共同体に参加し、軍人らが戻ってくると予告された夜明けまで全羅南道道庁の隣のYWCAの建物に残り、殺害された、はにかみ屋で静かな人だったというパク・ヨンジュンは、最後の夜にこう書いていた。「神さま、なぜ私には良心があり、こんなにも私を突き刺し、痛みを与えるのでしょう? 私は生きたいのです」。
その文章を読んだ瞬間、この小説がどの方向へ向かうべきかが雷に打たれたようにわかった。あの二つの問いは、次のように、逆にしなくてはならないと悟った。
過去が現在を救う事はできるのか?
死者が生者を救うことはできるのか?
(과거가 현재를 도울 수 있는가?
죽은 자가 산 자를 구할 수 있는가? )"
こうして文章を書くことができる心身の自由を享受している自分の人生にこれらの言葉を当てはめることは恐縮で(もう、本当に)、しかし、これだ、となった。私の体験に言葉が与えられた、という感覚があった。
今年はなぜか昔の自分が書いた手紙や日記を次々に発見した。今までは見つけてもそこに戻るのが怖くて開けなかったのだが「怖気づいて始めもしないなら文句言わないでよちょっと!」という少女時代のThe Boys韓国語歌詞(和訳)に奮い立たされて開いてみた。そこにトラウマとなった出来事の断片が散らばっていて苦しかったのと同時に、その時々の自分が守りたいと思っていたものを何とか守りとおそうとする力強さが残されていて十数年後の自分がむしろ奮い立たされるような強い感動があった。
その時の体験に自分の体と心を全て使って対峙していた自分の姿によって、今の自分が回復する、こういうトラウマからの回復もあるのかと心の中にあたためていたのだが、ハン・ガンはこのあり方を言葉にするための言葉を与えてくれた。
未来から見た現在が過去になるのなら、その未来の自分を立たせる言葉が必要だということを今考えている。私に強いトラウマを与えた人々の死を見送った未来を考えた時、ここから始めるのがいいのかもしれないと思った。その時に私の人生を継続させるための言葉とはなんだろうか。その人々について詳しく知ることから始めたくて、最近図書館で1930年から1950年くらいの郷土資料を読み、記録している。
このような流れで今があり、ハン・ガンに感謝してもしきれないので、ゆっくりと2年ほど学んでいる韓国語でこの感謝をファンレターとしてハン・ガンに送るということを目下の目標にしたい。
友達の文章の英訳に僭越ながら携わったことも本当に楽しかったし、タロットカードを少しずつ使いこなせるようになってきたのもいい感じで、オーブンを約2年ぶりに使えるようになって休みのたびに(小麦)粉に触って #絶頂 していて本当に今心の中に愛しか感じない(7月に私の解放日誌を2年ぶりに見直したのも #これは始まりに過ぎない の伏線だった)。
こんなこと言ってるけど出勤の日は目覚めるたびにスベテを潰す!と思っていて(爆)、仕事だけがマイライフの障壁となっているので、なんとか潰したい、この会社を。完
引用したハン・ガンのノーベル賞受賞スピーチ日本語訳
↑ゥチの文章は目を通さなくていいので、これだけは読んでください
映画『アメリカン・ユートピア』の覚書
昨日、メトロ劇場で『アメリカン・ユートピア』を観た。あまりに素晴らしく、久々にパンフレットを購入した。パンフレットのコラムや、Web媒体でも論考があり、その中で、もう少し言及されてもよかったのではという作中でみられた社会学的視点からの感想を書いておきたかった(超絶ネタバレ注意)。
この『アメリカン・ユートピア』のステージは、デヴィット・バーンの現在の思考や考えを、デヴィット・バーン当人によって実況中継的に表現されたものだと感じた。彼を含む演者の国籍、人種や男女比の構成(後述の通りアジア系はいなかったのだけど)、有権者登録の呼びかけ、移民について・自己変革の必要性についての言及、そしてこの作品のハイライトでもあるジャネール・モネイの”Hell You Talmbout”のカバーなど、政治的、より厳密にいえば、アイデンティティ・ポリティクスを範疇とするトピックが多く占められていた。
まず、彼の歌詞に注目すると、ジェンダーに言及する歌詞は、ヘテロノーマティヴかつ記号的なものがある。”boy”は”woman”に惹かれ(”Toe Jam” 2009)、”woman”は”wife”になって、彼女らの心情はいざ知らず、”wife”に縛られる”man”の心情を吐露するものもある。(”Once in a Lifetime” 1981)しかし、”Everybody’s Coming To My House”(2018)は、本人の言う通り、インクルージョンがテーマであることもあり、登場する人称代名詞が、”I”,”you”,”we”,”they”,"everybody”であることからもわかるように、男女というバイナリーな性別の呼称は消失している。実際、2018年にリリースしたアルバム『アメリカン・ユートピア』に、女性アーティストが一人も参加していなかったことに対し、彼はインスタグラムで謝罪文を掲載している。
映画の中で、バーンは黒人の作家ジェームズ・ボールドウィンを引用し(たぶん「この国(アメリカ)にはかなり多くの変革する余地が残されている」という言葉だった気がする…間違っていたらご指摘いただければ幸いです)、自己変革の重要性を説く。ヘテロセクシャルかつシスジェンダー男性として、歌詞の世界観に反映してきたヘテロノーマティブな規範や、自身の音楽活動の中でとってきた女性に対する態度を自己変革することを、他者とのつながりの中で体現する姿勢がうかがえる(なので、クィアに対する言及や意思表明がなかったのが個人的に残念だった)。
しかし、前述したような政治的トピックについて触れつつも、彼がそれらを語る動機は、怒りではない。あくまでも、現状をよりよいものにしたいという意思である。ジャネール・モネイの”Hell You Talmbout”をカバーする際、バーンは、モネイに「年配の白人男性が歌う資格があるのか」とモネイに直接許可をとったという(それに対するモネイの返答は「全員に歌える歌だと思う。」というもの!)。なぜなら、この歌は、Walter Scottから始まる、警察権力の中に根付く黒人差別あるいは白人至上主義によって不当に命を奪われた犠牲者の名前を挙げ、”Say her/him name!”とコール&レスポンスを行う「黒人によるプロテスト」の要素が多分に含まれているからだ。
一方、このバーンの言葉にあらわれているように、彼が占める社会的位置は、白人男性であり、白人男性がメインストリームである音楽業界の中で、アメリカのみならず、世界的成功をおさめることができたというポジションである。その中で、彼が意識的か無意識的かにかかわらず捨象してきた、抑圧を受けているアイデンティティを持つ者、あえて挙げるとすれば、「黒人」や「女性」のような存在に対する視線を、彼は現在でも完全には向けることができていないといえる。パフォーマーの中にアジア系のルーツを持つ者がいなかったことはその一例として挙げることができる。しかし、成功した白人男性という位置を占め、不可視となっていた存在を、自身で可視化する試みを自らの言葉で表明し、そのためにも、多種多様な他者の存在および彼らとのつながりが必要なのだと言い切る姿は、彼に向けられるであろう安直な世代論を退け、自身の視野を広げながら生きようとする意志次第で、自己を変革できることを体現しているといえる。
このバーンの姿を撮影したのが、スパイク・リーである。バーンの思考と感情が現在進行形で表現されたステージに、さらなる解釈の奥行きを与えたのは、彼の監督としての資質であるところが大きいと私は感じた。
特筆すべきは、ステージの後半から、リーは積極的にステージを多角的に撮影し始めた点である。ステージの真上からパフォーマーを映し、カメラは観客にも向かっていく。前半はバーンのステージを観客の視点かつ、パフォーマー一人一人の動きや表情、彼らの縦横無尽に自由かつ整然と一体で動く姿、つまり彼らを最大限魅力的に見えるようキャプチャし、ショーとしての側面を引き立てているように見える。しかし、特に”Born Under Punches”からはステージを正面ではなく、天井から垂直にカメラをおろし、パフォーマーのステージ上の移動を映し、ステージからみた観客の姿を映すなど、画面のカット割りが激しくなっていく。それに呼応するように、バーンの歌詞と語りから放たれるメッセージが、過去から現在と未来へ向かう転換点を示唆しているようだった。この映画が撮影されたのは、2019年であるが、奇しくも、“Born Under Punches”の”All I want is to breathe”という歌詞は、昨年のBlack Lives Matter(BLM)が興隆する契機ともなったジョージ・フロイドの遺言、”I can’t breathe.”と重なった。
”Hell You Talmbout”では、亡くなった黒人たちの一人一人の写真を、遺族がかかげるシーンがパフォーマンスの合間に挟み込まれ、赤く太い字体で彩られた被害者の名前と生年月日、死亡した日付が画面を埋めつくす。歌唱していた黒人パフォーマーたちの”Say her/his name!”のシャウトや表情からも、黒人というアイデンティティを持ち生まれた者が共有する怒りの体験と、状況を希望に変える可能性を信じる心情が重なっているように感じられたのは私だけだろうか。リーは、バーンの「未来に希望を見出そうとする年寄の白人男性」というポジショナリティに、黒人という当事者性、そこにある湧き上がる怒りや抵抗と未来を変えられる確信を”Hell You Talmbout”に接合し、バーンの”Possibility”を信じるというメッセージへの共感と、鑑賞する我々に、それを信じさせる説得力を与えることに成功している。
バーンは、自身の特権的立場に向き合い、よりよく生きるための自問自答と他者とのつながりを模索し、対し、リーは理不尽に黒人の命を奪う者(それはシステムであり、人である)への怒りと、その状況を改善できるという可能性の意思をもつ。しかし、両者に共通しているのは、未来への可能性を心から信じる意思である。ステージを通して、またステージを撮影することで、バーンとリーによって託される自己変革と未来の可能性を信じるメッセージに対し、どのように我々は応答できるのか。全世界の人々に有権者登録を行うことを最後に改めて映画『アメリカン・ユートピア』は呼びかけたが、鑑賞した人の分だけ、応答の数は用意されているのである。
